痛みを感じる方向に出口がある
あるアニメの中に出てくる好きな台詞だ。
僕は自分のことをよく知らない。好きなものも嫌いなものも、よくわからない。
それは僕が自己と向き合うことをしなかったからだと思う。自分が出来ることを知って、自分が出来ないことを知るのが怖かったのだ。
勝てるゲームにだけ参加してきた。負ければそのゲームはしなくなった。自分が万能だと感じたくて。
僕が万能だったのは、言葉も覚えたての頃までだったのだと思っている。
選択することは他を捨てることだ。僕は捨てたくないから選ばなかった。そのまま大人になって何も得ずに、何にもならずに何かを目指している。
僕はこの深い暗闇を抜けようとしている。痛みを感じながら。
僕は一つを選びながら、何かを捨て続ける。
そして目指す。自分を得るために。
痛みを感じる方向に、出口がある。
言い切りの形
言い切る力が欲しい。プライム会員だから送料無料だしAmazonで探して見たけれど見つからなかった。
『レオナルドダヴィンチの手記』を読むに、人類史上トップレベルの頭の良さがあれば随分と物を言い切れるみたい。
友人と話をするときに「良いとか悪いとかでなく」という言葉が頻繁に使われるけれど、あまり好きじゃない。ハッキリと断言しないのは自分の思考の未熟さの表れだと感じる。だから人によるとか場合によるとか、そういったニュートラルな物言いしかできない事を恥じている。
実際は断言出来ることなのにそれをしないのは、結論を曖昧にすることで話が面白くなると思っている節のある悪い手癖のようなもので、実際はインテリぶったつまらない定型なのだからやめたほうがいい。第一ものを言い切らないのは優しくない。
だから僕は言い切りたい。